商品プレゼンテーション担当者の職能進化と呼称の変化
プレザンタシオンとエタラージュ
今日のビジュアルマーチャンダイジングへの系譜を「商品のプレゼンテーション」の観点で振り返ると、担当専門職の呼称は時代と共に変遷した。洋の東西での事情はどうか。21世紀初葉の新しい職能と呼称はあるのか。
日本で「ディスプレイ」という外来語は、明治の漢学者などにより「陳列」「展示」と翻訳され、その時代の主たる“商品の見せ方”を反映したものになった。 「陳」「列」「展」「示」それぞれの語義が表すように、衣桁に掛けた着物の平面的な展示、和食器を平らに並べた陳列、扇子の扇面を広げた展示、これらは西洋式の立体的な見せ方とは異なる平面的な日本の美意識を映した見せ方である。
ショウウインドウは、西洋で窓とガラスと照明の改良により進化した。19世紀中葉のフランスで、百貨店という当時の新ビジネスモデルの登場や最新流行品店の盛況が、斬新な商品プレゼンテーションを必要とした。
必要は発明の母の箴言の様に、ファッション発信地のフランスでは、商店主および専門家に向けて、見映えの良い商品プレゼンテーションを叶える商品プレゼンテーション器具を開発販売する工房が台頭し繁盛をする。中には商品プレゼンテーション法を活版印刷で小冊子とした例もある。(右欄参照)。 そこでは「プレザンタシオン」というフランス語を用いて「エタラージュ」というショウウインドウ ディスプレイに該当する語を用いていない。プレザンタシオンは、英語のプレゼンテーションと同義であり、演出や趣向を凝らした見せ方というより、単品の商品を直截に見せるというニュアンスが強い。
一方エタラージュは、大道具、小道具などを添えて趣向を凝らす。それは専門のエタラジストが担当して、専門の技巧、技術、感性を駆使したショウウインドウ ディスプレイである。
デコラトゥールとクレアトゥール
日本でも「店」の発生時は「棚」と不即不離であった。店を“おたな”という所以である。西洋に於いても同様で「店」の発生時の店頭構造は棚が主要素であった。商品を見せるという意のフランス語には、棚に関わる接辞が含まれている。
東西とも店と棚の関わりは共通であり棚は商品の基本的な見せ場であった。
そのフランスで、ショウウインドウを飾る「エタラジスト」の他にどのような呼称が用いられているのか。
エルメスのショウウインドウを長期に創作した著名なアニー ボーメルはデコラトリスという肩書きで報じられている。デコラトリスはデコラトゥールの女性形名詞で、デコラトゥールもデコラトリスもフランスではインテリアデザイナーを指すことが多い。しかしデコラトゥールやデコラトリスは、インテリアデザインと共にショウウインドウディスプレイを担当することがある。
かつてショウウインドウだけを装飾していたエタラジストは、ショウウインドウデザインの創作と店内の商品プレゼンテーションを重視する時代になり、新しい職能と職能名を必要とした。フランスで採用したのは「デコラトゥール クレアトゥール」。英語で表すなら「デコレーター クリエーター」である。しかし今日のアメリカでは、商品プレゼンテーションの担当者をデコレーターとはいわない。英語だが英語圏でその職能名が適用されているわけではない。
アメリカで、デカダンスな趣のショウウインドウで著名な作家が、いささか古風なショウウインドウ ドレッサーと自称するのは、ショウウインドウ ディスプレイをショウウインドウ ドレッシングと呼んでいたノスタルジックな時代のあたかもパロディのようで、遠ざかっていた感性の一部を刺激する。
日本では1960年代から、パリやスイスに留学した女性の先駆者により、欧州の商品ディスプレイの表現技術が導入された。
日本にない概念、技術については、日本語への言い換えと周到な造語が行われた。「ピンワーク」はフランス語のドラペ、英語のドレープの言い換え和製洋語であり、ドラペの技術を応用発展させて、芸術性、実用性とも当時の日本の需要に一致して普及した。
日本で定着した「デコレーター」もフランス語圏であるスイスのジュネーブ、ローザンヌ近辺で用いられる言語のフランス語「デコラトゥール」を英語に置き替えて女性名詞、男性名詞の区別のない「デコレーター」としたのではあるまいか。
商品プレゼンテーションのプロになるためには国家試験が関門のスイスで「デコラトゥ−ル」から「デコラトゥ−ル クレアトゥール」に変更をみた。それまでの造形、クラフト技術、商品プレゼンテーション技能に加えて斬新なデザイン、マーケティングが必須となり、時代の変化を織り込んだ呼称となった。
トリマーとビジュアルマーチャンダイザー
1900年代初頭、日本にその専門家が存在したか。その呼称は定かでないが絵心のある者や図案家などが、その役割を果たしていたのではないか。
西洋では職能組合の記録から呼称の特定が可能である。またギルドやユニオンの存在が証明をする。
アメリカでの記録は、1897年に創立されたNational Association of Window Trimmers of America(アメリカ ウインドウ トリマーズ協会)がある。
創立前に普及していた「トリマー」という呼称が協会名として社会に容認されることになる。
アメリカ ウインドウ トリマーズ協会の機関誌「The Show Window(1897年創刊)」はLyman Frank Baum(1856-1919)ライマン フランク バウムにより編集された。L・F・.バウムは、多くの職業を経験して後年「オズの魔法使いを」などの児童文学の作家となった人である。
彼は全米を巡回するセールスマンとして各地の小売商が、ショウウインドウ トリミングの技法と最新情報を切望していることに気づいていた。上記のアメリカ ウインドウ トリマーズ協会誌の編集などを通じてトリマーズを支援し社会的地位を向上させた。
前出フランスの商品プレゼンテーションする専門器具会社も、フランス国内各地に定期的な出張販売を行い、その地で展示会を開催し小売商の需要に応えた。最新のパリ風商品プレゼンテーション法は期待されたに違いない。その展示会でエタラジストは花形でもあった。
1897年創立のアメリカ ウインドウ トリマーズ協会に続き1914年にシカゴで結成された組合の名称はInternational Association of Display Menである。
ここに「ディスプレイ マン」という職能名が登場する。ディスプレイ マンという名称が示すように女性の名は記録にない。
この職能名は1960年代まで通用した。私自身の経験では1960年代後半に時代の先端をゆくブルーミングデールで、シニアの管理職が部下をさして「トリマー」と名指した場面の記憶がある。このことは日本でも「陳列」「装飾」が「ディスプレイ」の意味で使用されていた状況に似ている。
商品プレゼンテーションの分野では、日本や欧州がアメリカに先行して女性が活躍をしてきた。しかしアメリカでは、1974年にニューヨークのブルーミングデール百貨店に、Ms.キャンディ プラッツが登場、職業のジェンダーを打破したと特記される。彼女は時代を画したビジュアルマーチャンダイジンザーとして記憶に新しい。
ビジュアルマーチャンダイザーと新しい職能
この事実はそれまで「トリマー」「ディスプレイマン」、性差のない呼称「ディスプレイ パーソン」「ビジュアルマーチャンダイザー」につながっていく。
「トリマー」「ディスプレイマン」「ディスプレイ パーソン」が熟練したスキルを持つ「専門職」「特定職」なら「ビジュアルマーチャンダイザー」はビジュアルデザイン、ビジュアルテクニック、マーチャンダイジング、マーケティングに精通しコモンナレッジを備えた「総合職」「特定総合職」といえようか。
上記のようにアメリカの「トリマー」は、1897年に組合の設立をするほど存在感を増すが、仕事は創造力を競うというよりショウウインドウ空間の間隔を調整して商品を見映えよく並べる職人仕事の趣がある。この頃ヨーロッパの最新ショウウインドウ情報は上記「The Show Window」に掲載されトリマーに影響を与えた。 やがて「ウインドウ トリミング」は「ウインドウ ドレッシング」の時代に入る。ショウウインドウに商品を「詰め込み並べる」手法から「見映えよく飾る」手法への変化である。その係を「ウインドウ ドレッサー」と呼んだ。
1910年代にはディスプレイという概念と手法が普及「ウインドウ ドレッシング」は「ショウウインドウ ディスプレイ」に発展しその担当者は「ディスプレイ マン」と呼称される。
1920年代の後半、アメリカでは1925年パリで開催された「万国現代装飾美術工芸博覧会」の影響により新しいディスプレイ、魅力的なマネキンや洗練された商品プレゼンテーション器具が導入されアメリカ東海岸の百貨店を中心に広まった。
1930年代にはパリやロンドンの先行例に学び「ショウウインドウ ディスプレイ」に加えて、インストアのカウンター及びショウケース上の商品プレゼンテーションが注目された。
ビジュアルプレゼンテーションの専門家を称してさまざまな名称が登場した。これまで欧米日の専門誌に登場したものは少なくない。(右欄参照)
現代が求める新しい職能像は何か。その素養はいかにあるべきか。この時代は新たなモデルを要請している。新しい時代に「新しい職能像」が創出され「新たな呼称」が着想され、了解され普及することが予想される。貴方はどのような職能像と職能名を着想されますか。
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